その男は、剣を持たなかった。
盾も、鎧も、持たなかった。
ただひとつ。
使えるのは「ホイミ」だけだった。
旅立ちの日、村人たちは笑った。
「そんな魔法で、魔王に勝てるわけがない」
「回復だけで何ができる?」
男は何も言わなかった。
ただ、小さくうなずき、歩き出した。
最初の村は、すでに半壊していた。
魔物に襲われた跡が残り、人々は怯え、傷つき、倒れていた。
男は剣を抜かない。
ただ、一人ひとりに手をかざす。
「ホイミ」
淡い光が、傷を包み込む。
折れた骨がつながり、裂けた皮膚が閉じていく。
人々は驚いた。
そして、泣いた。
「ありがとう……生きてる……」
その瞬間、男は気づいた。
世界は「戦い」で救われるだけではないと。
次の町では、争いが起きていた。
人と人が疑い合い、怒り、傷つけ合っていた。
男は剣を持たない。
だから止めることもできない。
それでも、一人が倒れたとき、近づき、手をかざした。
「ホイミ」
傷が癒えたその男は、殴る手を止めた。
そして、呟いた。
「……なんで、助けるんだ?」
男は初めて言葉を発した。
「痛みは、増やすものじゃない」
その一言で、空気が変わった。
争いは、ゆっくりと静まっていった。
やがて噂は広がった。
「戦わない勇者がいる」
「回復だけで人を救う者がいる」
彼の後ろには、いつしか人が集まり始めた。
剣士、魔法使い、商人、子ども。
彼らは戦う。
男は癒す。
それだけだった。
だが、それで十分だった。
ついに魔王の城。
仲間たちは震えていた。
強大な闇が、すべてを飲み込もうとしていた。
魔王は笑う。
「貴様が勇者か?その手には何もないな」
男は静かに前に出た。
「ホイミしか使えません」
魔王は嘲笑した。
「ならば、無力だ」
そして、巨大な闇が放たれる。
仲間が倒れる。
次々と傷つき、意識を失う。
男は、ただ一人、立ち続けた。
「ホイミ」
一人を救う。
「ホイミ」
二人目を救う。
「ホイミ」
三人目を救う。
何度も、何度も。
やがて、彼の体は限界を迎える。
それでも止まらない。
その時だった。
癒された仲間たちが、立ち上がった。
「今度は俺たちの番だ」
剣が振るわれる。
魔法が放たれる。
だがそれは、怒りではなかった。
守るための力だった。
戦いは終わった。
魔王は膝をつき、静かに言った。
「なぜ……戦わずに、勝てた……?」
男は答える。
「僕は、誰も倒していない」
「ただ、倒れた人を起こしただけです」
世界は、静かに変わった。
剣で救う時代は終わり、
癒しで繋ぐ時代が始まった。
人は気づいた。
最強の力は、
誰かを倒す力ではなく、
誰かを生かす力だと。
そして今日も、男は旅を続ける。
剣は持たない。
ただ、手をかざす。
「ホイミ」
その小さな光が、
世界を、少しずつ救っていく。


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